2006年 10月 13日
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しりとり小説 #3 前編
<前回の話はこちら>
きゅっ。 蛍光灯の光弾くタイルの壁にシャワーの水音がはね返り、ふわふわとシャボンの泡が飛び交った。 「じゃあ、ローリちゃんは?」 目をぎゅっと瞑ってぐしぐしと頭を洗いながら、はいりは窓の外に声をかける。 「連れ去られただけだ。まだ、助かる可能性はある」 窓枠に丸まっているのは、猫らしき小動物だ。はいりの質問に答えつつ、視線は窓の外へ固定したまま。 「そっか……なら、助けるよ。あたし」 シャンプーの泡を洗い流しながら、はいりは静かに呟いた。 「無茶言うな。自分で何言ってるのか、分かってんのか?」 「でも、あの力が使える人、ローリちゃんとあたしだけなんでしょ? それに、今日の敵は何とか倒せたじゃない!」 「まあ、そうだが……っておい!」 真剣に考えられたのは、ほんのわずかの間だけ。 気が付けば、猫の体ははいりにひょいっと抱えられている。 「わーい、ふかふかー!」 裸のままで猫を抱き、柔らかな毛並みに頬を埋めて喜ぶはいり。 「コラ、やめろーっ!」 「いいじゃん別に。減るもんじゃなし」 少し汚れているようだが、どうせ今から体を洗うのだ。少々なら関係ないだろう。 「俺ぁ男だっ! しかもテメェより年上だぞ、こらぁっ!」 「オスなのは分かってるよぅ。それに、猫って一年くらいで大人になるっていうじゃん?」 必死に叫ぶが、猫の力でははいりの力にさえ敵わない。圧倒的な力でぎゅっと締め付けられ、口から呼気が漏れる。 「そういう意味じゃねえ! ぐはっ!」 「そうだ。キミ、ちゃんとお風呂入ってる? ついでだから洗っちゃうよー?」 洗面器に湯を汲み、慣れた手つきでシャンプーを取る。犬しか洗ったことはないが、猫も何とかなるだろう。たぶん。 「やーめーろーーーー!」 「あ。そういえばキミ、何て名前?」 「精霊武装が発動しない?」 闇の中に響いたのは、おっとりとした女の声だった。 「結界服の展開はしたのよねぇ? なら、そんなハズはないんだけど……」 純白のワンピースドレスをまとった美しい女だ。爪先まである長い裾をコンクリートの屋上にゆるりと広げ、ビルの端に身をもたせかけながら、不思議そうに首を傾げてみせる。 「だよなぁ」 女の前で丸まった猫はそう言うと、眠たげにあくびを一つ。猫のように見えるが、その詳細はこの世界のいかなる生物とも異なっている。 ……そもそも、猫は喋らないが。 「その割に、フォームチェンジはしちまうんだから。全然分かんねえ」 「……ソニアの複数使役を?」 猫の言葉に、おっとりした美女は訝しげに眉をひそめた。 「アイゼンを喚び出して、トウテツの眷属を一匹倒しやがった」 フォームチェンジ……複数の人工精霊を喚び出し、己の力として使いこなす術は、ソニアを使う者の最高等技術だ。変身するだけなら素養次第で誰でも出来るが、フォームチェンジとなるとそうはいかない。 「ローリは半年。あの菫でさえ三ヶ月かかったってのに……」 「うーん」 小首を傾げ、おとがいに細い指を添えて一考。 けれど、考えたところで答えは出ない。 「ま、その件は文献を当たってみるわ。貴方は、その子のことをお願い」 結論の出ない思考を中断し、女は猫の背へそっと手を伸ばした。 「……相変わらず、触らせてくれないのねぇ。貴方の背中、ふわふわして気持ちよさそうなのに」 猫のほうも慣れたものらしく、指が触れかけたところでひょいと立ち上がり、女の手をするりとかわす。 「ンなことされてたまるか。ブロッサム」 「あら、洗ってもらったの?」 「ちがーう!」 ブロッサムと呼ばれた女ははぁ、とため息を一つ吐き、ひらひらと手を振ると…… 「じゃあね。また報告があったら呼んで頂戴」 その場から、本当に姿を消した。 「病気?」 朝礼の終わった教室。一時間目の教室移動で席を立つ生徒達の中、ただ一人教壇に駆けよったのははいりだった。 「ああ。今朝、近原の親御さんから連絡があってな。体調を崩したから、しばらく休むそうだ」 海外から来たんだし、慣れないウチは調子も悪くなるさ。と、担任の教師は穏やかに笑う。 「ローリちゃん、無事だったんだ……病気で、家で寝てるって!」 「病気、ねぇ」 遅れることほんの少し。美術の教科書を提げて現われた葵と柚に、はいりはにっこりと微笑みかける。 「無事……?」 「あ、あはは、何でもないです」 その言葉に首を傾げる担任教師を、軽く笑って誤魔化しておく。 「で、どうするの? はいり」 ま、分かってるけど……といった様子で、葵は肩をすくめた。柚もはいりが次に言おうとすることを分かっているのか、にこにこと笑っているだけだ。 「そりゃ……」 「「「お見舞いに行くよ!」」」 三人の言葉が、見事にハモる。 次に弾けるのは、少女三人分の笑い声。 「……やっぱりね」 「葵ちゃんも柚ちゃんも行くよね?」 いちおうは疑問形だが、二人がお見舞いの同行を断る可能性は全く考えていないはず。 これでも、前学年からの付き合いだ。それくらいは分かる。 「……しょうがないわね」 「うん。いいよ」 「お見舞いは良いけど、あんまり近原の家の人に迷惑かけるんじゃないぞ? 兎叶」 「はーい」 担任教師の言葉をやっぱり軽く流し、三人の少女は美術室へと走り出した。 ぴん、ぽーん。 ローリの家は、田舎町には珍しい洋風の家だった。周囲に並ぶ瓦屋根と比べて、目立つこと甚だしい。 『あら、どなたかしら?』 そのうえ、玄関のチャイムは音声応答だった。 「ええっと……あ、葵ちゃんっ!」 最新の機器にどうすればいいか戸惑ったはいりは、隣の親友にバトンを放り投げるので精一杯。 「わ、私!? そんな、いきなり言われても」 葵とて、この手の機器に対応するのは初めてだ。 少女達が慌てていると、二人の影にいた少女がすいと一歩を踏み出した。 「わたし、華が丘小学校五年三組の大神柚子と申します。ローリ近原さんのお見舞いに、寄らせていただいたのですが……」 「あらあら。今開けますね」 二人が呆然と見守る中、チャイムの向こうからはローリの母親らしい穏やかな声が返ってくる。 「あ、ありがと、柚ちゃん」 「へへ……」 やがて玄関が開き、その中から現われたのは……ローリと同じ、ものすごい美人だった。 すらりと伸びた細身の体に、光の加減で金髪に見える栗色の髪。ポニーテールに結ばれたそれは、美女の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。 「ね、あれ、お母さんかな?」 まさか彼女が先程のチャイムに出ていた女性なのだろうか。それにしては、随分と若い気もするが……。 「ばっかねぇ。そんなわけないでしょ?」 「どうなんだろう……」 少女達のした反応には慣れているのだろう。長身の美女は悪戯っぽく微笑むと、庭の入口を手際よく開く。 「ローリの姉のリタリナです。ママは手が離せなかったから、代わりに私が」 「そうなんですか。ローリちゃんは……?」 リタリナはフェンスに長身を預け、軽くため息を吐く。動作の一つ一つが大きく優雅で、テレビで見たモデルのようだとはいりは思った。 きっとローリも、大きくなったらこんな美人になるに違いない。 「まだ熱が高いみたいで、寝てるのよ……。お医者さんは、ただの風邪だって言ってたけれど」 「そう……ですか」 寝ているのでは仕方ない。今日はこのまま帰ることになりそうだ。 「悪いね。また熱が下がってローリが落ち着いたら、来てくれる?」 「はいっ! それじゃ、また来ます!」 元気の良いはいりの返事に、リタリナも柔らかく微笑みかえす。 ローリの家からの帰り道。 「残念だったね、はいりちゃん」 柚子の言葉に、はいりはそれでもにっこりと笑う。 「でも、ローリちゃんが無事で良かったよ」 「それって……昨日の怪物にさらわれたって話?」 「うん。あたし、ローリちゃんがさらわれたとばかり……」 それからすれば大発展。少なくとも家にいるのなら、ひと安心だ。 「ま、家族と一緒なら大丈夫じゃない?」 「だよねーっ」 チャイム越しの母親の声は穏やかだったし、リタリナも優しそうな感じのお姉さんだった。 彼女達がいれば、ローリもすぐに元気になるだろう。 「あたし、明日もローリちゃんちに行ってみるよ!」 「その意気よ。私は一緒に行けないけど」 明日は、週に一度のダンス教室の日だ。 「えー。柚ちゃんはー?」 「わたしは……」 そこまで言いかけて、柚子は口をつぐむ。 「ちょっと、柚は明日、塾の日でしょ?」 笑顔のはいりと困り顔の柚子の間に割り込んだのは、葵だった。 「あ、そっかー。ごめんね、柚ちゃん」 「ううん。気にしないで」 屈託無く笑うはいりに、柚子も柔らかく微笑み返す。 ぎぃ、と軋んだ音を立て、扉が開く。 「ママ。帰ったわよ、あの子達」 ポニーテールをゆらりとなびかせ、リタリナはリビングのソファーに腰を下ろした。 「そう……」 向かいに座るのは、リタリナをさらに美しくした美女。リタリナと並べれば姉妹にしか見えないだろうが、れっきとした彼女の母親である。 緩くウェーブの掛かった髪をふわりと揺らし、お茶の入ったカップを優雅に口に運ぶ。 「トウテツ」 呟きと共に。 ソファーの隅にわだかまるのは、漆黒の闇。 「リーザ様。此所に」 トウテツ。 長い黒髪をまとう、漆黒の魔獣使い。 先だってローリをさらった張本人である。 「あの子が……ハウンドを倒したって言う、ソニアの鈴の持ち主?」 「はい。結界獣と共にソニアの鈴を持ち、逃亡した子供ですわ。油断しました」 トウテツは、ぎり、と唇を噛む。 鈴を持つのは、力なき獣と、もっとか弱い少女の二人組。愛しい闇の猟犬は簡単に任務を果たし、すぐに戻ってくると思ったのだが……。 結果は、全くの逆。 ハウンドは滅ぼされ、二人はのうのうと生き残っている。 「そんな感じはしなかったけどね。あの結界獣が何かやったんじゃないの?」 「貴様ぁっ! 私のハウンドが、結界獣ごときに負けると言うか!」 皮肉じみたリタリナの台詞に、膝を折っていたトウテツは思わず立ち上がる。 漆黒の魔女に対するは、どう見てもただの女子高生。だがリタリナはトウテツの魔力に屈するどころか、むしろ挑発するような笑みさえ浮かべてみせる。 「トウテツ」 その激突を止めたのは、ローリの母親……リーザだった。 「……は」 立ち上がるどころかただの一言で、漆黒の魔女は再びリーザに膝を折る。 「その子の実力、仕掛けてみれば分かるでしょう。ねえ?」 「次は、ハルピュイアを出させます」 天翔る翼の魔獣だ。ハウンドを超える機動力と、それに倍する戦闘力を持つ、完全戦闘用の闇の獣。 ハルピュイアが任務を果たせばそれで良し。もし敗れることがあれば、それは全力で葬るべき相手、ということだ。 「ええ、それでいいわ」 まるで夕食のメニューでも決めるような気安さで、リーザはにっこりと微笑む。 「ママ! あんな連中、あたしに言ってくれれば!」 「リタ。私達三人には、他にやるべき事があるでしょう?」 空になったカップをその場に置き、リーザはソファーを立ち上がる。 奥の間に続くドアをそっと開けば……。 「……うん。そうだね、ママ……」 そこにあるのは闇の渦。 中央に囚われているのは……。 彼女の娘であるはずの、ローリの姿だった。 <後編へつづく!>
by labcom
| 2006-10-13 23:48
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