2010年 06月 30日
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プロローグ【5/5】
最初に意識に飛び込んできたのは、黒い白。
白い黒。 それは、光の色。 目蓋を隔てて差し込む、陽光の色。 瞳を、閉じている。 それを思考でようやく理解し、彼女はゆっくりと閉じたままだった瞳を開く。 「う……ん……っ」 体を起こし、大きく伸びをひとつ。 ひんやりとした木の床に降り立ち、寝汗に濡れた服を着替えて締め切っていたカーテンを開けば、目に飛び込んでくるのは見慣れた街の風景だ。 朝日を浴びる中央の大きな木も、彼方に見える山並みも、あの時と少しも変わらない。 「あれから、もう十年か……」 懐かしい夢だ。 古代の遺跡から発掘され、この店で初めて目覚めた頃の事。当時は途方に暮れた事もあるが……十年経ってみれば意外と何とかなるものだと、今となってはそう思う。 「カナン!」 「ん。すぐ行く!」 そして。 十年前と変わらぬ十五センチの相棒の呼び声に、カナンはゆっくりと部屋を後にするのだった。 『月の大樹』の朝は早い。 宿屋の宿泊客の相手もあるし、朝のひと仕事を終えてやってくるバザールや塩田の常連もいる。港町という性質上、夜や早朝の漁を終えた漁師達も多い。 そんな客の相手がひとしきり片付けば、次にやってくるのは仕事を求めに来た冒険者達だ。 「王都に旅立った頃の夢……? また、懐かしい話を出してきましたね」 そんな冒険者の一人。カウンターで朝食を食べ終えた黒衣の青年は、カウンターでコーヒーを淹れている少女に皿を戻しながらそう呟いた。 「でしょ。ハルキもあの頃は可愛かったのになぁ」 当時はカナンと同じくらいだった背丈も、今ではカウンター越しでなければ視線が合わないほど。物腰も落ち着き、当時の血気盛んな少年と同じ人物とはとても思えないだろう。 「……勘弁して下さい。ようやくヒヨッコ扱いされなくなったんですから」 十年前は駆け出しの冒険者だった少年も、今は遺跡の調査さえ一人でこなし、指名して来る依頼人も出るようになった。 「そういえば……カナンは大変ではありませんか?」 そんな青年が問うたのは、カウンター越しの少女に向けて。 そう。少女、である。 カナンの外見は、十年前のあの頃と変わらぬまま。 彼女は、年を取らない。 老いぬ外見は古代人の特徴というわけではなく、彼女の個人的な性質なのだという。不老自体はルードやエルフ、一部の魔族もそうだから、けして珍しいわけではないが……。 酒場はともかく、第一印象も大切な斡旋業で愛らしい少女の姿のままというのは、必ずしも有利なだけではないはずだ。 「まあ、そのへんは上手くやってるわよ。……で、今日は何? 魔法絡みの品の鑑定なら、フェムトが明後日まで休みだから出来ないけど」 店の裏方を務める魔法使いの娘は、魔法使いギルドの集まりでシュナンまで出掛けている。帰ってくるのは早くても明日の昼頃になるはずだ。 「……街を離れようと思いまして」 「……そっか」 ぽつりと呟いた言葉に、反応は薄い。 「平野の国の北方……エンドロアで大きな遺跡が見つかったという話を聞きましてね。事前調査だけでも、別々の時代に生まれた古代人が三人、見つかっているそうです」 その話は、もちろんカナンも聞いていた。 幾度も世界の滅びを経験してきたこの世界で、遺跡が見つかる事はさして珍しくない。だがそんな遺跡の中でも、エンドロアのそれは複数の時代に渡って存在したものらしく、桁外れの規模を持つのだという。 「冒険者なら大きな遺跡を探索してみたいって気持ちも、分からないでもないけどね……」 だが、ハルキの目的はそこだけではないはずだ。 「もう十年も経ったんだし……外見も変わらないから、気長にいくわよ?」 十年前。ハルキ達と共に王都に向かったカナンは、同じ時代の古代人に出会う事は出来なかった。 唯一の収穫は、カナンがコールドスリープに就いた後、彼女のいたドームで大きな事故が起こり、そのまま廃棄されてしまった、という事実だけだ。 王都のマサトから、今でも小まめに便りは来るものの、カナンと同時代の同胞が見つかったという報告が記されていた事はない。 以来、ハルキは率先して古代の遺跡を探索して回るようになった。そんな彼が、複数の時代の古代人が眠る遺跡と聞けば……ハルキの目的がどこにあるかは、自ずと知れる。 けれど。 「一緒に……行きませんか?」 そのひと言は、カナンにとっても予想外。 食後のコーヒーを淹れかけていた手も、思わず止まってしまうほど。 「……酒場のマスターを口説く時の台詞じゃないわよ、それ」 わずかな沈黙の後、ようやくそんな間の抜けた言葉を返すのが精一杯だ。 「口説くというか、本気なんですが」 黒衣の青年とはもう十年来の付き合いだ。穏やかに微笑む青年の様子は、冗談を言っている時のそれではない。 言葉通り、本気だ。 それも、金払いの悪い依頼者との交渉で見せる時のような、本気中の本気。 「……カナン」 青年の本気に言葉を返せずにいるカナンに掛けられた声は、青年ではない。 カウンターの上からこちらを見上げる、十五センチの相棒のものだ。 「……ちょっとシノ、立ち聞きとか趣味悪いわよ」 「立ち聞きも何も、そんなカウンターで堂々と話してるのを聞くなって方が無理でしょ」 言われ、ようやく気が付いた。 見回せば他の客達も、二人の事の成り行きをじっと見守っているではないか。 「と、ともかく! ……あたしはここで待ってるわよ。行くんなら行ってきたら?」 さして広くもない街だ。おそらく午後には、二人の話は街中に広まっている事だろう。 よりにもよってなタイミングで切り出された話題に耳まで赤く染めながら、カナンはぴしゃりと言い放つ。 「そうですか……」 向かいのハルキはそう呟いて、カウンターを立ち上がった。いつもはしっかり飲んでいく食後のコーヒーを口にする事もなく、代金を置き、そのまま出口へと歩き出す。 「けど……ちゃんと、戻ってきなさいよ」 「約束しますよ」 カナンの言葉に背中越しに軽く手を振り、黒衣の青年は静かに外へと消えていった。 「……一緒に行って良かったのに」 シノも二人とは十年来の付き合いだ。二人の関係を理解していないはずがない。 もっとも二人の態度は、そこまでの付き合いのない者でも丸わかりだったろうけれど。 「ミラさんも居ないし、シノ一人じゃ大変でしょ」 この店の本当の主も、調査と称した旅に出たまま帰ってくる気配がない。生きてはいるのだろうが、不思議な遺跡や技術を前に店の事など忘れている様子は容易に想像がつく。 「それくらいどうにでもなるわよ。フェムトだっているし」 さすがに風呂担当の魔法使いだけではどうにもならないから、人を雇う事にはなるだろうが……この店にも、それくらいの余裕はある。 しかし、カナンはその言葉にも小さく首を振るだけだ。 「……それに、あいつに頼りっきりってのも癪じゃない。あたし、店の切り盛りしか出来ないのよ?」 カナンが長い旅に出たのは、十年前に王都に出掛けた一度きり。依頼の関係で遺跡の調査に同行した事は何度かあるが、それも他の冒険者の後ろで守ってもらっただけだ。冒険者を見る目はそれなりに養ってきたつもりだが、実際の冒険の経験は無いに等しい。 そんなカナンがハルキに付いていった所で、役に立つ……彼と対等の関係で付き合う事が出来るとは、とても思えなかった。 「ったく。素直じゃないんだから」 好きなんだから、とにかく付いていけばいいのに。 酒場にいる者は誰しもそう思ったが、あからさまに不機嫌なカナンに忠告できる者は、シノを筆頭にこの場には誰一人としていないのだった。
by labcom
| 2010-06-30 02:01
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